痛恨のクラリネット 

08.5店内2 007


「吹奏楽がやりたい少年」はその後一人でやってきて、譜面台を買っていった。
どうやら吹奏楽部には入った様子だが、アルトサックスはまだ買ってもらってないようだ。
少年は今はとりあえず学校の楽器を使っていると、言った。
初心者のスタートとしてはそれもいいだろう。

楽器の話を書いていて、思い出したくないことを思い出してしまった。
人生、失敗談はいっぱいあるが、楽器にまつわる痛恨話だ。


当時の吹奏楽部員はすべて学校の楽器を使った。先輩たちは楽器の手入れも後輩に厳しく教えた。
クラリネットの場合一年生はベークライト製の日管(ヤマハの管楽器部門の前身)だった。
そして2年生になり腕が上がってくると楽器もいいものがあてがわれる。

3年生になってはじめてフランス製のクランポンを手にした。材質は黒檀だ。
クランポンは憧れのブランドだった。初めて吹く時はどきどきした。
社会も高度成長期が始まった頃だ。学校も実績のある部活には予算を割いたようだ。

高校に入る頃になると、回りにポツポツと自分の楽器を買ってもらう者が出てきたが、あくまで少数だ。
私は高校に合格した祝いにクラリネットを買ってもらうことになった。
しかし一流ブランドのクランポンが欲しいとは言えなかった。高いのだ。

親は知り合いを通じてどこかの楽器屋の営業マンみたいな人を家に呼んだ。
ケースに入ったクラリネットをさして「これでどう?」と母親がいった。
有無もなかった。買ってもらえるだけで嬉しいのだから。

営業マンみたいな人が帰ってから、まじまじと眺めた。
シュライバーというドイツ製だった。聞いたこともないブランドだった。
母は何がいいのかはわからない。ただ、一生懸命買ってくれた、と思う。

高校時代は軟式テニスなどをして、OB会の演奏会に時々出る程度で熱心にやらなかった。
他に興味のあることがいっぱいできてきたためだが、だんだん吹奏楽とは縁遠くなっていった。

痛恨の日がやってきた。
大学時代のある日、懐かしい旧友が訪れてくれた。これは嬉しいことだ。
心ばかりの歓待をしたいが、親から仕送りのお金は底をついていた。バイトの給料日もまだだ。
私は困った。そして魔がさした。
大事に帯同してきたシュライバーを質屋に持ち込んだ。あろうことか、その後引き取りを忘れてしまったのだ。

私のクラリネットは消えた。たった一晩の飲み代のために。
若気のいたりである。今でも心が痛む。

そして時は流れ、自分の娘が中学生になった時、勧めもしなかったのに吹奏楽部に入った。
しかも、クラリネットを吹くことになった。偶然である。

私の娘の頃はすでに「マイ楽器」の時代に入っていて、学校でもほとんどの部員が親に買って
もらった自分の楽器をもっていた。それだけ社会が豊かになったということだろう、とりあえず。
私は娘にクラリネットならクランポンと吹聴した手前、クランポンを買い与えることになった。

さらに時は、流れに流れた。
クラリネットを買ってくれた母も、愚息の質屋事件のことは知らずに2年前他界した。
私はお墓の前で手を合わせ告白した。おばあさん(母のこと)、ごめんなさい。

わが娘も今では人の妻となった。
娘よ、あのクランポンはまだあるだろうな。(自分のことは棚にあげて・・・)
しかし、きかないことにする。



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吹奏楽をやりたい少年 

08.4店内 002


セルマーのサキソフォーンケースが9000円で売れた。中古である。
買って行ったのは30歳代の男性だったが、かなりサックスをやりこんでいる様子だった。

セルマーは木管楽器では定評のあるフランスの世界的ブランドである。
なぜか、中身がなくケースだけだ。
ケースだけでも新品で買えば3万円はする。なんせセルマーである。
アルトサックス本体は40万円以上はする。上を見たらきりがないのが楽器の世界だ。

当リサイクルショップは楽器も取り扱っている。アコースティックギター・エレキギター・金管楽器のトランペット・木管楽器のクラリネット、フルート、和楽器の三味線などだ。新品も中古もある。
ヤマハなどの一流品は中古の個人の持ち込みしかない。
新品は日本の楽器商社が中国に作らせている二流品である。

楽器は「何でもあり」のリサイクルショップには意外と難しい商品だ。
私は楽器が好きで、特に管楽器に思い入れがある。もちろん修理ができるわけではない。

私は中学時代、吹奏楽で3年間クラリネットを吹いていた。
遠い昔のことで、その後吹奏楽とは縁遠くなっている。

そんなわけで管楽器に声がかかると嬉しくなる。ついちょっとした話をしてしまう。
まあそんな会話が、こんなところで楽器を買うのはなあ、という疑心を払拭できるのかも知れない。

楽器の機能美というかデザイン的な美しさはいつまで見ていても飽きない。
ガラスケースには入れてあるが、なんせ倉庫型店舗なので少々ほこりっぽい。
それが一番の気がかりである。

当リサイクルショップで管楽器を買おうというお客さんは、小中学校で吹奏楽を始めるという初心者か、かっこよく吹いているプレーヤーに憧れて、自分もあんな風に吹いてみたいという若者である。
大体はちゃんとしたレッスンを受ける様子はない。
その結果、ほとんどが挫折する。いわゆる三日坊主に終わる。

楽器は習得するのには時間がかかる。
管楽器などは、最初はまともな音すらでない。独習でうまくなれるのは少ないだろう。
小中学生は指導者次第といっていい。

先日、中学生の男の子がガラスショーケースの中のアルトサックスをじっと見ていた。
私はつい声をかけた。

 「吹奏楽やってるの?」
 「ううん、やりたいんだけど迷っているんです」

今年入学したばかりのようだ。
 「吹奏楽部に入りたいんだけど・・・女ばかりで・・・」

その少年は友達に冷やかされるのが嫌だというのだ。
なるほど。確かに最近の吹奏楽部は女の子ばかりだ。

吹奏楽コンクールの結果を報じたある日の新聞の写真を見ると、55人編成の中に男の子はたった三人だけ。チューバで一人、トランペットに一人、バスクラリネットに一人という有様だ。男は肩身が狭い。

毎年、全日本吹奏楽コンクールの全国大会が東京の普門館で開催される。
吹奏楽の甲子園といわれている。
私の時代はその普門館に定着する前で、会場は持ち回りだった。
全国大会に出場するというのと、その年の会場だった高松、四国へ初めて旅行できるというので興奮したのを今でもよく覚えている。

そんな時代は男ばかりという編成も珍しくなく、女の子はせいぜい一割という構成だ。
当時の吹奏楽部は体育会系文化クラブと言われていた。

腹式呼吸を強化するため腹筋運動は日常であり、指導がスパルタ式なのである。
音が外れたりリズムが狂うと、練習を中断し頭をはられた(平手でなぐられること)
いわば調教みたいなものである。現代なら問題になってしまう。
そんな厳しい練習を続けて何か目標を達成すると喜びは倍加する。
恐れられた先生は尊敬の対象に変わる。不思議だ。

それはともかく社会に女性の進出が一般化して久しいが、吹奏楽部のように男女比率がまるっきり逆転してしまう例は他にあまり思いつかない。
男子中学生が余計な心配をするのも無理はない。

一週間後、その中学生は両親をつれて現れた。
両親の質問に答えて、

 「まあ、上達してくるともっといい楽器が欲しくなるんで、・・・」
 「まずはこのあたりで始めてみたらどうでしょうか」

ほんとは最初からいい楽器で始めるのがいいに決まっている。しかし、それぞれのふところ具合もある。
それにグレードの高い機種は当店にはない。

その家族は来週また来ますといって帰っていったが、少年は果たしてアルトサックスを手にすることができるだろうか。


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中日ファンと阪神ファン 

08.4.23名古屋ドーム 006


昨夜、名古屋ドームに中日阪神戦を見に行った。三連戦の第二戦目である。
名古屋ドームはおととし以来だ。

私は「ゆるいスポーツファン」である。
何がゆるいか、というとサッカーならテレビで国際試合はほとんど見るが、J1はサッカー場で一度見ただけ。野球はというと、テレビ・ラジオで見聞きするが、野球場はめったに行かない。
こんな程度のファンである。

プロ野球のチームにしても、熱狂的ファンというにおこがましい。不埒なファンである。
私は三塁側内野席4階のシートで観戦していた。
友人にもらったチケットだったので席の選択の余地はない。

中日の本拠地だから球場全体から言えば中日のファンが多いのは当たり前だ。
三塁側というのは阪神側というエリアだが、平日ということもあって阪神ファンは多くない。
それでも三塁側内野席の半分は阪神ファンだった。
レフト側外野席の100%は黄色のファンで埋まっている。

しかし、相変わらず阪神ファンというのは元気で存在感がある。というよりやかましい(笑)
どこに行っても意外と阪神ファンは多いのだ。これは東京ドームでもそれを感じる。


誰も驚かない告白をする。
長い間阪神ファンだった私は、去年の始めから中日ファンに宗旨変えをした。
阪神が嫌いになったわけではない。応援の順位が1番目から2番目に変わっただけだ。
中日は2番目から浮上した。

対戦相手がそれぞれ違えば、阪神と中日の両方に勝ってもらいたい。
今回のように中日と阪神が戦う時が問題だ。その応援比重が中日に傾いたのだ。

理由ははっきりしている。
監督である。
岡田監督に変わって長年の私のファン心が揺れ動いた。
過去何度も監督は変わっているじゃないか、という声が聞こえる。
なぜか岡田監督と相性が悪いのだ。(一方的なものを相性というか?)

監督が変わるとよくも悪くもチームががらりと変わって成績も変わることがある。
岡田監督は優秀な監督である。二軍監督時代も何回も優勝に導いたし一軍の監督に就任してからも期待を大きくは裏切っていない。

しかし、ベンチの奥で首を傾ける姿は、私にはどうしても「藤山寛美」に見えてしまうのだ。
藤山寛美が嫌いなわけではない。むしろ関西喜劇の天才として尊敬すらしている。

何がいけないのか。
それは、「藤山寛美が野球をやっている」という違和感である!
これだ、私の心を乱すのは。
だから私は岡田阪神に感情移入ができなくなってしまった。

こんな状態に前後して、逆に落合監督が私の心を捉えた。
名選手かならずしも名監督にあらずという言葉があるが、落合監督は間違いなく名監督といっていい。野球を知り尽くした采配に、言葉の少なさがなおさら才覚を暗示する。

なによりも落合監督に好感を持つのは、負けた時にメディアの前ではけして選手を責めないことだ。
いつだったかリリーフの岩瀬が打たれて負けた。
試合後、メディアの意地悪な質問に、こう答えた。

 「岩瀬がどれだけ今まで勝ちをもたらしてきたと思っているのか、(負けは)たまにはそんなこともあるわさ・・・」
 

その夜名古屋ドームでは結局2-3で阪神が勝った。広島から阪神に移籍した新井の移籍後初ホームランが出たくらいで、さほど劇的な展開はなかったが、やはりライブは雰囲気が楽しい。
阪神の応援団はまだ気勢を上げている。「六甲おろし」が繰り返される。

試合が終わって3万以上の観客の多くが一気に地下鉄の乗り場に向かう。その長い通路は満員電車状態でのろのろ歩きとなる。
球場でつかの間の非日常の興奮が終焉し、その余韻を味わいながらもふっと現実に戻っていく。
右の前に「ARAKI」の野球シャツを着た若者が行く、左には「KANEMOTO」が隣を笑顔で歩く。

阪神ファンから中日ファンに変節した私は前を行く若者たちを眺めて、複雑な気持ちではあったがなんか悪い気はしなかった。


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スーパーカブとスーパー爺 

06. 010

そのじい様、いつもスーパーカブに乗って颯爽とやってくる。
ホンダのスーパーカブはモデルチェンジをしながら、まだ製造販売されているらしい。
しかし、このじい様のスーパーカブは間違いなく昔からのものだ。よく似合う。年季の入り方が違う。
大体、いつも作業着を着ている。

 「いやあ、朝、堤防の草刈りをしてきてな、ひと汗かいたよ。はははっ」

と言って、店の奥のほうの文房具売り場に入っていった。
堤防とは隣の市との境である川の堤防だ。
いわゆるボランティアでの作業だろう。年寄りの朝はいつも早い。

このじい様、買うものはいつも決まっている。
アルバムか掛け時計である。フィルムをはがして挟み込む旧タイプのフエルアルバム。いつも5冊くらい買っていく。数えていたわけではないが、この数年間でたぶん100冊はくだらないだろう。
掛け時計は20個くらいか。

ある時たずねた事がある。
 「ところでアルバム、今までたくさん買ってもらっているけれど・・・何に使うんですか?」

 「人にやるんだよ・・・」
 「その人にな・・・関係する写真を少しいれ込んでな・・あげるだよ」
 「もうこの歳だとなあ・・だんだん知り合いが亡くなってしまって・・・はははっ」
 「足が悪いだとか、入院するまでないんだが家の外にでられないとか・・・そんな人を見舞いにな」

手土産にアルバムを持っていくという。掛け時計も同じである。
アルバムが行き渡った所は掛け時計というわけだ。
耳も遠くなく目も不自由はなさそうである。なにより頭がシャープなことに驚かされる。

 「5冊分合わせて2000円になります」

するとやおら、ズボンの中から布袋を引っ張り出した。布袋の先にはちゃんとズボンとつながった紐がついている。その布袋の中に財布が入っているのだが、さすがにさっさとは出てこない。時間がかかる。

 「はは、歳とるとなあ・・・財布もどこに置いたかすぐに忘れちまうでなあ」
紐をつけておけば大丈夫と、ちょっと恥じるように言った。

しかし、誰でも50歳も過ぎれば忘れっぽくなり、このじい様の歳でそれを恥じるように言われると我々の立場がなくなる。
車に乗り込んでから忘れ物に気がつき、また玄関を開けて中に入ったもののさて何を取りにきたのかと立ち尽くす。冷蔵庫を開けてから、はて何がいるんだったかいな、とちょっとの間思い出せない。
あるある、こんなことは普通にある。

このじい様、当然年齢的に軍隊経験がある。中国大陸だったそうだ。
私は店が混んでない時にそのあたりを聞いてみた。
この手の会話は気をつけなければいけない。お年寄りはよくぞ聞いてくれたとばかり、延々としゃべり出して止まらない場合がある。
しかし、このじい様は違った。

 「いやあ、飲み水がなくてな・・・泥水のようなものを飲んだのう」
 「初めの一週間ほど、下痢でピーピー・・・はははっ」
 「そのうちに、慣れてきてな・・・」
 「まあ、そりゃあ、ひどかった・・・」

戦争という極限状態の一場面を、昨日のことのように話してくれた。
そんな質問を嫌がらずに答えてくれたが、けして長々とは語らず、切り上げ方に思いやりがある。
店先で長話はできないし、おまえさんたちもほんとうは忙しいのだろう、と。

 「もう、おいくつになられるんですか?」
 「わしか、今年で91歳じゃ・・・はははっ」

小柄であるが、背筋がぴっと伸びていてかくしゃくとしている。
こんな元気なお年寄りが店に買い物にきてくれる。うれしいことである。
それ以後私と従業員の間で、このじい様は「軍曹殿」というあだ名となった。

軍曹殿は今日もスーパーカブに乗って、元気に知り合いの家を廻っている。


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先進ショッピングモールと「わくわく感」 

07.10店内 001


先日近隣のエリアでイオンショッピングセンターがオープンした。
主要幹線道路などが渋滞。多くのお客で賑わったようだ。

しかし、世の中、、物で溢れている。家庭でも個人でも不足感はとくにない。給与も上がらない。
余計なものは買わない。個人消費は沈滞するはずである。
流通業はこのところずっと不況という辛苦を味わされている。

最新のショッピングモールなどを見ると、かなりアメリカナイズされている印象を受ける。
ロサンジェルス郊外のモールを歩いているような錯覚さえ覚える。
トイザラスがまだ日本に進出していない頃、私もカルフォルニアの流通業を見に行ったことがある。

日本の流通業が企業化しはじめた黎明期はアメリカに学んだ。とくにチェンストアはそうである。
アメリカの流通業を常に観察しながら日本流に発展してきた。

しかし、数十年の時間は磐石と思われていたものも変化させる。
巨大化したダイエーは没落し西友はウォルマートに株を100%取得された。
優良企業だったイトーヨーカドーも壁に当たっている。
当リサイクルショップのあるエリアでも2年前に巨大ホームセンターが出現し、前後して二つの中小ホームセンターが消えた。

店舗運営のシステムもかなり変化してきている。
販売時点管理POSというシステムが普及し、それもさらなる進化をしている。
商品がレジを通過する時「ピピッ」とバーコードを読ませるあれである。

レジを通過することにより販売傾向や在庫情報を集約し、それをEOSという発注システムにリンクさせる。さらにそれを物流センターとオンラインで結び、商品が動く。売れた分だけ発注されるというわけだ。企業規模や業態などにより段階や手法に多少の違いはあるが、大雑把にこんなところだろう。

商品を仕入れて販売するという、大昔から行われていたシンプルな行為は、今ではこんなに複雑なった。単純な商取引が企業化しさらに効率を求めて進化していく。ほとんど企業側の都合である。

店内は快適で整然と清潔、品揃えには隙ない。
しかし、私は最近のショッピングモールを歩いてもちっともわくわくしない。うきうきしない。
要る物を買ってさっさと帰ってきてしまう。
季節感を店頭に表現したり、楽しい雰囲気を作り出そうとしている努力は感じられる。
だが、ほんとうのわくわく感は底の浅い演出などで得られるものではない。

流通業の大手が効率を求めて進化していくのは歴史的必然かもしれない。
こんなシステム化された大手の対極にあるのが、流通業の末席に位置するリサイクルショップだ。
まさに原始的システムである。(いや、システムがない)

ある時期、リサイクルショップを企業化し拡大できないか、と考えてみた。
ブックオフのようにチェーン化に成功している例もある。これは書籍・CD・DVDなどとアイテムを絞っていて、作業のマニュアル化が可能だったからだ。
当リサイクルショップのように総合リサイクルショップというか「何でも来い」というタイプはどうか。
業務の多くはイレギュラーの連続でルーティンワークは少ない。
マニュアル化は非常に難しい。

企業化や拡大をめざし効率を求めていくと、必ず店は面白くなくなる。
中途半端な追従はいずれ、消えていった中小ホームセンターのような運命が待っている。

ほんの一部を除き、ほとんどのリサイクルショップは売り場100坪前後かそれ以下の零細規模だろう。リサイクルショップは小資本で始められるためか、乱立している。
しかし、すでに淘汰がはじまっているのだ。

唐突で申し訳ないが、韓国でもタイでもベトナムやバリでも、アジアの市場(いちば)に行くとなんであんなにわくわくするのだろう。これは個人的な嗜好だろうか。
昔の日本にもあった市場は、時代の変化にほとんど駆逐されてしまった。
私はノスタルジアでものを言っているわけではない。

当リサイクルショップでは7割くらいは新品を扱っているが、まぎれもないリサイクルショップの一形態である。私は密かにこの「わくわく感」がリサイクルショップの生命線ではないかと思っている。


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