さきたま古墳群を歩く(2) 

08.6sakitama 010

「さきたま史跡の博物館」は瓦塚古墳の脇にあった。
まずは古墳群の全体像を描く15分くらいのDVDを見る。
さっき歩いて回ったエリアが空から写し出される。空からだと前方後円墳の形がきれいに見える。これだけの大きな古墳だ、相当な権力者のお墓と思われる。
 
博物館はこじんまりとはしていたが、きれいに整備されていた。

出土したはにわがたくさんガラスケースの中に陳列されている。

そして国宝「金錯銘(きんさくめい)鉄剣」に近づき凝視する。
5世紀頃に作られたものという。
古代が現代の空間に存在している不思議。わくわくする。
この鉄剣が注目を浴びてきたのは115の文字が刻まれていることだ。
その銘文は簡単にいうと、
「ワカタケル大王(雄略天皇か)に仕えてきた先祖代々親衛隊長である私は大王が天下を治めるのお助けした由緒を記す」
と書いてあるらしい。
 
すべて漢字であるし、長々と書かれた八代の系譜の名前が見事にわかりにくい。
人の名前にも必ず意味があると思うが、古代人の名前は全て当て字でその文字からは意味は読み取れない。
その一人の名前を書くと「多加披次獲居(たかひしわけ)」。
他の名前も現代人から見ると変てこな名前ばかりである。
ひょっとしたら、人名の変遷と時代の歴史的変化は関係があるのではないか。そんな研究をしている人もいるかも知れない。
 
ボランティアのおじさんの説明に興味深いことがあった。
 「ここの稲荷山古墳で、鉄剣の持ち主と思われる人物が他の副  
  葬品に囲まれて埋葬されていたんですが・・・・」
 「その場所は古墳の中心ではなく、中心を外れた所からでした」
この稲荷山古墳のぬしは鉄剣の人物ではなく別にいるというのである。ここに眠る方はどんな人物だろうか。
大和政権との関係はどうなのか。
 「その人物はわかっているのですか・・・」
 「いいえ、今のところ全くわかっていません」
 「埋葬者の特定されているものは全国にもまだないんですよ」
近畿地方の有名古墳の主もほとんど推定の域から出ていないと言う。
 「えっ、ほんと。堺の仁徳天皇陵は?」
 「ずっと、そういわれてきましたが、考古学的には確定していませ

  ん」

そういえば、仁徳天皇陵は最近は大仙古墳と表記されることが多い。
考古学も新しい発見があったりいろいろ伸展をみせているのに、古墳に誰が埋葬されているかに関してはなぜか歯切れが悪い。
 
学芸員のOBらしき方はこう続けた。
 「いやあ、最近はなかなか掘らしてくれないんですよ」
 「発掘すれば、有力な史料はかなりでるはずですが・・・・」
素人の私は質問に遠慮を知らない。
 「天皇の墓といわれている古墳は、宮内庁なんかの圧力ですか」
その方は、それには答えず、
 「重要な文化財は保護する必要もありますし、・・・」
 「まあ、遺跡を破壊せずに発掘する技術ができたら、話は変わっ
  てくるんですがねえ・・・」
古墳は死者を祀ってある神聖な場所であるが、心ない者の副葬品をねらった盗掘もあろう。
知らない間に道路になってしまったり削られていたりして、長い間にはいろいろあるようである

さきたまの丸墓山古墳は、戦国時代には石田三成の本陣としても

利用されたという。
無礼者!であるが、その「今」に生きるものにとっては古墳とはそん
なものである。
遺跡を後世に残していくことは大変なことである。
現在、さきたま古墳群の整備・管理はよくなされていると思う。
歴史ファンとしては、保護と同時に「丁寧な発掘」で新たな発見を期待したいところである。

さらに次回に続く。





さきたま古墳群を歩く(1) 

08.6sakitama 035

埼玉県のさきたま古墳群に行ってきた。

このさきたま古墳群の一つ、稲荷山古墳から金文字が象嵌された鉄剣

が出土して30年以上が経つ。新聞などで大きく報道され、それ以来私は

関心をいだいていた。

近畿地方を中心に散在する多くの歴史的遺跡は比較的なじみがある。
しかし、関東にこれだけ大規模な古墳群があることは知らなかった。
一度は見ておきたいという想いを持ちながら、日常の忙しさにそれを忘

れていった。

最近、TVで「日本史ミステリー」という番組があった。見た方も多いだろ
う。「大和政権をしのぐ日本王国が関東にあった」というテレビ番組らし
い非常に刺激的なタイトルである。なるほど、こんな見方もあったか。
私の潜在していた関心を強く喚起したのが、この番組だった。
東京までは縁があり大体はわかるのだが、その向こうとなると途端に地
理があやふやとなる。しかし、地図が一枚あればどこにでも行ける。
私がmapと呼ばれる所以でもある。
 
その日は一日雨であった。
ほとんどひと気のない静かな古墳群を歩く。長さが100m前後の古墳が
9基ある。待望の地に来れた喜びと古墳の持つ気味の悪さが交差する。
丸墓山古墳から稲荷山古墳に向かう時、すこし向こうに東屋があった。
そこに白い人の影がちらちら見えた。側に柳の枝が風に揺れている。
周りに人ひとりっ子いない。古代人の幽霊か・・・・。
ゆっくりと近づく。
白い雨合羽を着た警官だった。脇に自転車があった。
私から声をかけた。
 「こんにちは。今日は少し寒いですねえ、6月だというのに・・・」
 「こんなところで何をしているのですか」
警官に尋問(?)してしまった。
 「いやあ、何ね、ここのパトロールを。今はちょっと時間調整・・・」
辺り一帯、古代の霊気を感じる。・・・というのは嘘である。しかし、

咲き始めた蓮の花と静けさがそう思わせるのに充分である。

今では天気のよい土日などは、家族連れなどが遊びに来る広大な公園

となっている。これはその警官の説明である。
歴史とは面白いものだ。人間の営みは脈々と続いてきた。
過去があって今があり、未来に繋がっていく。
未来のために歴史から学ぶことはけして少なくない。
「さきたま古墳群を世界遺産に!」という垂れ幕のかかった二子山古墳
を眺めていると、先ほどの白合羽の警官が自転車で追いかけてきた。

 「将軍塚古墳の入り口はぐるっと回って、あっちですよ!」

わざわざ親切にありがとう。

こんなふうに古墳を歩き回り、広大な古墳公園の一角にある「遺跡の博

物館」に足を向ける。

その博物館には、冒頭の国宝となっている「金錯銘(きんさくめい)鉄剣」

が展示されている。ほかにも史料がいろいろありそうだ。
さて、大和政権をしのぐ日本王国の謎は解けるか。

 

長くなりそうなので、次回に続く。

 

 




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