カラオケの世界 

08.5tennai 010

ちょっと着飾った年配のおばさんが来た。
5枚100円というハンカチを300枚買った。
1枚20円というハンカチだが、けして粗悪品というわけではない。倒産品なのだ。

このおばさん、カラオケの先生だそうだ。
 「来週ね、コンサートを開くの・・・文化会館で。小ホールだけどね」
 「会場で配るの、このハンカチやら記念品を・・・」
 「ほう、すごいですね。何人くらいの人が来るんですか」
 「300人くらいかしら・・・」

曲によって観客にそのハンカチをふってもらう演出らしい。
カラオケ教室を開いていて、そのコンサートでは友人やら生徒さんたちが観客だ。 その生徒さん方も多くは年配の女性という。

リサイクルショップとカラオケの関係は割りとある。
カラオケ機器の放出である。カラオケ機器の歴史を見るように目の前に現れ、消えていく。

カセットテープとエイトトラックの再生装置にスピーカーが一つになったものは30年前の物。 絵の出るカラオケCDというのもあった。その後レーザーディスクカラオケが流行る。
どれも、機器はもう古すぎて引き取りできない。
当時1枚が一万円もしたレーザーディスクは今ではジャンク扱いで500円以下である。

これがディスクのいらない通信カラオケと進化していく。採点もしてくれるしハモッてもくれる。 通信カラオケの機器も、カラオケ屋の撤退で大量に引き取ったこともある。


カラオケを楽しむ形態も様ざまである。
家庭で、スナック・居酒屋、カラオケボックス、そして「カラオケ喫茶」。

飲み会ではちょっとうまい肴で一杯飲みながら、同行者と静かに会話するのが私は好きである。 だから突然カラオケの大音量が流され、会話ができなくなるスナックは好きになれない。
自己陶酔の歌を聴かされるのもごめんだし、自分のへたな歌を他人様に聴かせるほど図々しくはない。

しかし、たまにカラオケボックスに行くことがある。
仲間同志だから遠慮はいらない。
歌うのは70年前後のフォークソングや歌謡曲に、たまのビートルズである。
新しい曲は歌わない、というか歌えない。見事な「おじさんパターン」である。 歌うことはストレス解消にかなり効く。

中高年のおじさん・おばさんはこの「おじさんパターン」と「カラオケ探求組」と大きく分かれる。
その「カラオケ探求組」の日常の場が「カラオケ喫茶」なのである。
私はカラオケ喫茶には行ったことはない。

カセットテープはご存知の通り、二時代も三時代も前の音楽媒体である。
もちろん主流はCDなのだが、どっこい、歌手が歌うカラオケテープは生きているのだ。
当店に並んでいるカラオケカセットテープは、1本100円である。
高齢の方が入院するというので不要品として大量に引き取ったものだ。
200本はあるカラオケカセット、知らない歌手知らない曲ばかりだった。
古いからではない。

ある60歳代のお客さんが、
 「○○○○のテープないかな、カラオケの・・・」
聞いたことのない歌手だ。
 「え、知らない?すごく人気があるんだよ・・・」
 「ほら、あの△△△という曲、今大ヒットしてるよ・・・」

大ヒット?そんなにヒットしている曲を知らないはずはないのに聴いたことがない。 カラオケ喫茶に出入りしているそのおじさんと話をしていて、だんだんわかってきた。

カラオケ喫茶が中高年の「サロン」となっていること。
他人に聴いてもらうために、みんなが競ってうまくなろうとしていること。
カラオケ喫茶で歌われる演歌はマスメディアにほとんどのらない。
しかし、その世界でスター歌手がいてヒット曲が存在すること。
そのヒット曲や好きな歌手の新曲に多くの人が関心を持っていること。
カラオケボックスの通信カラオケランキングとは全く一致しないこと。

カラオケ喫茶はカラオケボックスとは「カラオケの世界」が違うのである。
そして、グループがいろいろあって発表会では衣装に工夫をこらすというのだ。 そういえば、ある日どこかのおばさんが、カラオケで使うといってチャイナドレスを買っていった。
どの分野であろうと、凝りだすととことん凝るのが日本人だ。


中高年の「お楽しみ学芸会」はどんどんエスカレートしていく。
冒頭のハンカチおばさんの再登場だ。
ついに文化会館で300人以上集めるコンサートを開くまでになるのである。

ステージの上では人気演歌歌手の気分なのだろうな、きっと。
衆目を浴び気持ちよく歌う光景が目に浮かぶ。



なるほどなと思えたら、それぞれひと押しお願いします。

リサイクルショップのかしこい値引き交渉術 

08.1.24店内8

アジアの市場などに行くと、値札がない。いつも値段交渉である。
先日のNHK「アフリカ縦断の旅」という番組を見た。(タイトル不正確)
そのツアーの女性軍がマーケットの民俗衣装の店に入り、試着してわいわいとやっている。
店主は、最初一着9000円(日本円換算で)と言った。
女性軍は粘った。なんと最後は1000円となった。どこの国の人であろうと女性は強い。

9000円は観光客向けのふっかけだろう。確かに高すぎる。
しかし1000円まで下げたのは、店主の思惑があるからだ。
その時、10人ぐらいのそのグループの女性客はほとんど買う気でいた。その枚数を見込んだのだ。
売る側としてよくわかる。

日本では店頭交渉で9分の1になることはまずない。
高額品の車や電化製品などの値引き交渉は見かけるが、正札販売が一般的になっている。
しかし、リサイクルショップはもともと売価は安く設定されているのにもかかわらず、雰囲気がその気にさせるらしい。

外国人たちは必ず値切る。よその店では値切ったことがないような日本人も時々値切る。
値引き攻防戦が始まる。

外国人はこうくる。
マキタの電動工具につけてある値札を指差して、
 「ハンブンで、OK?」

半分でOKなわけない。
あまり極端な値引き要求に、つい説教してしまうことがある。

 「あのね、あなたのお国ではそういうのが普通かも知れないけど、・・・」
 「ここは日本、値段はここに表示してあるでしょ。これが値段。」

そうかといって全く値引きに応じないわけではない。
こんな条件の時、値引きしてしまうことが多い。

 1.まずは高額であること。
 2.または多量であること。
 3.長いこと在庫をしていてそろそろ売ってしまいたい商品。
 4.こちらが気がつかなかった不備が発見された商品(致命的でないが部品が不足しているとか)
 5.とても感じのいいお客で、こちらの機嫌がいい時。

この中で5.は意外と重要である。
こちらの機嫌はともかく、笑顔でさりげなく「少し値引きしてもらえると嬉しいな」とか言われると、
そうねえ、少しまけてあげようかなと思う。
反対に、値引きは当然というような高圧的態度でこられると、拒否反応がでてしまう。

お客さん側から感じのいい店・悪い店があるように、店側からも感じのいいお客さん・悪いお客というのがある。これは買ってくれるお客さんが感じがよくて、買わないお客は感じが悪いということではない。

繰り返すが、値引き交渉に「笑顔でさりげなく」は重要である。
こんな交渉術の基本を全く逆をいく客がたまにいる。

そのおばさんは128円の手工具ブラシと80円の自転車パンク修理のゴムパッチの二つを手にしていた。
ともに新品である。そして、なれなれしく言い放った。

 「ねえねえ、二つで200円にして」
 「???」

その単価の安さに、おばさんは値引き交渉をしているのだ、と一瞬理解できなかった。
内容によっては値引きに応じることは少なくないとさっきから書いている。

しかし、こういう無神経な客には不愉快を通り越して笑えてしまう。
たとえ金額が小さくても交渉するのはお客の勝手で権利でもある、という意見もあろう。
もちろんその通りである。でも楽しいお客さんではない。

そういうお客のほとんどは、応じられませんと断ると必ずこう言う。
 「けち!たった8円じゃないの」

この反応が楽しくない原因だ。
私は心の中でつぶやく、「逆じゃないの、たった8円くらい気持ちよく払ったら」と。

極端な値引きは利益を圧迫するが、お客さん側からみれば値切れる店は楽しい。
わくわく感のある楽しい店が私の理想だが、この兼ね合いが難しい。


「小さな値引きは言うな、大きな値引きを求めよ」


なるほどなと思えたら、それぞれひと押しお願いします。

痛恨のクラリネット 

08.5店内2 007


「吹奏楽がやりたい少年」はその後一人でやってきて、譜面台を買っていった。
どうやら吹奏楽部には入った様子だが、アルトサックスはまだ買ってもらってないようだ。
少年は今はとりあえず学校の楽器を使っていると、言った。
初心者のスタートとしてはそれもいいだろう。

楽器の話を書いていて、思い出したくないことを思い出してしまった。
人生、失敗談はいっぱいあるが、楽器にまつわる痛恨話だ。


当時の吹奏楽部員はすべて学校の楽器を使った。先輩たちは楽器の手入れも後輩に厳しく教えた。
クラリネットの場合一年生はベークライト製の日管(ヤマハの管楽器部門の前身)だった。
そして2年生になり腕が上がってくると楽器もいいものがあてがわれる。

3年生になってはじめてフランス製のクランポンを手にした。材質は黒檀だ。
クランポンは憧れのブランドだった。初めて吹く時はどきどきした。
社会も高度成長期が始まった頃だ。学校も実績のある部活には予算を割いたようだ。

高校に入る頃になると、回りにポツポツと自分の楽器を買ってもらう者が出てきたが、あくまで少数だ。
私は高校に合格した祝いにクラリネットを買ってもらうことになった。
しかし一流ブランドのクランポンが欲しいとは言えなかった。高いのだ。

親は知り合いを通じてどこかの楽器屋の営業マンみたいな人を家に呼んだ。
ケースに入ったクラリネットをさして「これでどう?」と母親がいった。
有無もなかった。買ってもらえるだけで嬉しいのだから。

営業マンみたいな人が帰ってから、まじまじと眺めた。
シュライバーというドイツ製だった。聞いたこともないブランドだった。
母は何がいいのかはわからない。ただ、一生懸命買ってくれた、と思う。

高校時代は軟式テニスなどをして、OB会の演奏会に時々出る程度で熱心にやらなかった。
他に興味のあることがいっぱいできてきたためだが、だんだん吹奏楽とは縁遠くなっていった。

痛恨の日がやってきた。
大学時代のある日、懐かしい旧友が訪れてくれた。これは嬉しいことだ。
心ばかりの歓待をしたいが、親から仕送りのお金は底をついていた。バイトの給料日もまだだ。
私は困った。そして魔がさした。
大事に帯同してきたシュライバーを質屋に持ち込んだ。あろうことか、その後引き取りを忘れてしまったのだ。

私のクラリネットは消えた。たった一晩の飲み代のために。
若気のいたりである。今でも心が痛む。

そして時は流れ、自分の娘が中学生になった時、勧めもしなかったのに吹奏楽部に入った。
しかも、クラリネットを吹くことになった。偶然である。

私の娘の頃はすでに「マイ楽器」の時代に入っていて、学校でもほとんどの部員が親に買って
もらった自分の楽器をもっていた。それだけ社会が豊かになったということだろう、とりあえず。
私は娘にクラリネットならクランポンと吹聴した手前、クランポンを買い与えることになった。

さらに時は、流れに流れた。
クラリネットを買ってくれた母も、愚息の質屋事件のことは知らずに2年前他界した。
私はお墓の前で手を合わせ告白した。おばあさん(母のこと)、ごめんなさい。

わが娘も今では人の妻となった。
娘よ、あのクランポンはまだあるだろうな。(自分のことは棚にあげて・・・)
しかし、きかないことにする。



なるほどなと思えたら、それぞれひと押しお願いします。

吹奏楽をやりたい少年 

08.4店内 002


セルマーのサキソフォーンケースが9000円で売れた。中古である。
買って行ったのは30歳代の男性だったが、かなりサックスをやりこんでいる様子だった。

セルマーは木管楽器では定評のあるフランスの世界的ブランドである。
なぜか、中身がなくケースだけだ。
ケースだけでも新品で買えば3万円はする。なんせセルマーである。
アルトサックス本体は40万円以上はする。上を見たらきりがないのが楽器の世界だ。

当リサイクルショップは楽器も取り扱っている。アコースティックギター・エレキギター・金管楽器のトランペット・木管楽器のクラリネット、フルート、和楽器の三味線などだ。新品も中古もある。
ヤマハなどの一流品は中古の個人の持ち込みしかない。
新品は日本の楽器商社が中国に作らせている二流品である。

楽器は「何でもあり」のリサイクルショップには意外と難しい商品だ。
私は楽器が好きで、特に管楽器に思い入れがある。もちろん修理ができるわけではない。

私は中学時代、吹奏楽で3年間クラリネットを吹いていた。
遠い昔のことで、その後吹奏楽とは縁遠くなっている。

そんなわけで管楽器に声がかかると嬉しくなる。ついちょっとした話をしてしまう。
まあそんな会話が、こんなところで楽器を買うのはなあ、という疑心を払拭できるのかも知れない。

楽器の機能美というかデザイン的な美しさはいつまで見ていても飽きない。
ガラスケースには入れてあるが、なんせ倉庫型店舗なので少々ほこりっぽい。
それが一番の気がかりである。

当リサイクルショップで管楽器を買おうというお客さんは、小中学校で吹奏楽を始めるという初心者か、かっこよく吹いているプレーヤーに憧れて、自分もあんな風に吹いてみたいという若者である。
大体はちゃんとしたレッスンを受ける様子はない。
その結果、ほとんどが挫折する。いわゆる三日坊主に終わる。

楽器は習得するのには時間がかかる。
管楽器などは、最初はまともな音すらでない。独習でうまくなれるのは少ないだろう。
小中学生は指導者次第といっていい。

先日、中学生の男の子がガラスショーケースの中のアルトサックスをじっと見ていた。
私はつい声をかけた。

 「吹奏楽やってるの?」
 「ううん、やりたいんだけど迷っているんです」

今年入学したばかりのようだ。
 「吹奏楽部に入りたいんだけど・・・女ばかりで・・・」

その少年は友達に冷やかされるのが嫌だというのだ。
なるほど。確かに最近の吹奏楽部は女の子ばかりだ。

吹奏楽コンクールの結果を報じたある日の新聞の写真を見ると、55人編成の中に男の子はたった三人だけ。チューバで一人、トランペットに一人、バスクラリネットに一人という有様だ。男は肩身が狭い。

毎年、全日本吹奏楽コンクールの全国大会が東京の普門館で開催される。
吹奏楽の甲子園といわれている。
私の時代はその普門館に定着する前で、会場は持ち回りだった。
全国大会に出場するというのと、その年の会場だった高松、四国へ初めて旅行できるというので興奮したのを今でもよく覚えている。

そんな時代は男ばかりという編成も珍しくなく、女の子はせいぜい一割という構成だ。
当時の吹奏楽部は体育会系文化クラブと言われていた。

腹式呼吸を強化するため腹筋運動は日常であり、指導がスパルタ式なのである。
音が外れたりリズムが狂うと、練習を中断し頭をはられた(平手でなぐられること)
いわば調教みたいなものである。現代なら問題になってしまう。
そんな厳しい練習を続けて何か目標を達成すると喜びは倍加する。
恐れられた先生は尊敬の対象に変わる。不思議だ。

それはともかく社会に女性の進出が一般化して久しいが、吹奏楽部のように男女比率がまるっきり逆転してしまう例は他にあまり思いつかない。
男子中学生が余計な心配をするのも無理はない。

一週間後、その中学生は両親をつれて現れた。
両親の質問に答えて、

 「まあ、上達してくるともっといい楽器が欲しくなるんで、・・・」
 「まずはこのあたりで始めてみたらどうでしょうか」

ほんとは最初からいい楽器で始めるのがいいに決まっている。しかし、それぞれのふところ具合もある。
それにグレードの高い機種は当店にはない。

その家族は来週また来ますといって帰っていったが、少年は果たしてアルトサックスを手にすることができるだろうか。


なるほどなと思えたら、それぞれひと押しお願いします。