中国問題は広がる一方か

中国の農薬ぎょうざ問題になかなか解決の光が見えない。「さば」も「ニラまん」も登場してきてその光はさらに遠のいている。
われわれ一般市民には事件の全容はわからないことが多い。ただメディアの情報を見ていて日本と中国との根本的な姿勢の違いに気が付く。
日本では関係商社が「ご迷惑をかけて申し訳ない」とすぐ謝罪した。
中国では製造会社が「当社は清潔面も安全面も何の問題もない」と強調。
むしろ日本の騒ぎ方がおかしい。こちらが被害者だとまで言い切った。
日本と中国のこの違いは何だろうか。
とりあえず頭を下げて嵐が去るのをひたすら待つ日本人。
自分のところから農薬混入した商品が出たという事実があるのに、認めようとしない中国人。
「簡単に謝りすぎる日本人」、反対に「謝りなさすぎる中国人」の構図が見えてくる。
当店に来る中国人は2種類ある。
だいぶ前から日本に住んでいる中国人。外観は日本人と区別はつかない。
中国レストランなどを経営していたり自営業の方が多い。日本の習慣や物価にも慣れていて車もいいものに乗っていたりする。
もう一つはこの数年から昨日までに来た出稼ぎ組の中国人。時に大企業だけでなく、中小企業の研修生という形で来日する。そして買い与えられた自転車に乗って4,5人の集団でやってくる。
この人たちは服装や身のこなしが違うので大体わかる。
まず日本の若者みたいな「ルーズファッション」系はない。
破れたジーンズははいてないということだ。戦後日本が貧しかった頃、破れたズボンは恥ずかしいものだったが、豊かになった今の若者は破れていないと恥ずかしいらしい。(ほんとうに豊かかどうかはこのところちょっと怪しくなって来ているが)
来日の日が浅い彼らは日本語がほとんどしゃべれない。英語ももちろんわからない。
不思議なのが言葉がほとんどわからないのに、あきれるほどわずかな日本語でいろいろ質問してくる。
逆の立場を想定してみよう。日本人が海外旅行をする。つたない英語で質問すると、親切な現地人が10倍の言葉の量とスピードで答えてくれる。トイレはどこにあるかくらいは指を差す方向でわかるが、商品説明になるとさっぱりわからない。質問したことを後悔する。次から手間を取らせては悪いと質問するのにも腰がひけるのである。
中国人にはこの感覚がないようだ。接客をしていて言葉にしにくい妙な図々しさを感じることがある。そして、長いこと店内を見て回るが、日本との物価の違いからかめったに買うことはない。
私は中国人の悪口を言おうとしているのではない。13億人もいる大国では個々に性格や考え方が違う様ざまな人達がいる。ひとくくりでは言えないことはわかっている。しかしながら国民性とか文化的背景が日本人とはやはり大きく異なる。そしていろいろな場で接する機会が増えてきた現代、必要なことはまずその違いを認識することだと思う。
突然話は変わるが、重慶の東アジアサッカー選手権の中国戦。
テレビ観戦した方も多かったと思うがどう感じられただろうか。
とにかく中国選手が日本陣内に攻め入る時の観客の大声援はすごかった。
後半戦だったと思うが、ちょっとおやっと思える場面があった。大声援の観客の視線がグランドではなく観客席のある方向を向いている場面だ。
アナウンサーは、「監督をかえろと叫んでいる一群があるようです」と説明した。
敗戦が濃厚になってきたからとは言え、日本の観客ではありえないことである。
それは翌日の新聞がやってくれる。競技場では自国の勝利を最後まで信じて応援するだろう。
それにしてもアウェイという逆境の中でラフプレーや反則の連発に耐え、理不尽なレフリーの判定に日本の選手は冷静に対応した。大人国中国が勝ちにはやった小人行為を繰りかえし、小人国日本は大人の戦いをした。
岡田ジャパンの選手たちに大いに拍手を送りたい。
なるほどなと思えたら、それぞれひと押しお願いします。

- [2008/02/23 09:36]
- 日本にうごめく外国人たち |
- トラックバック(0) |
- コメント(0) |
- この記事のURL |
- TOP ▲
雪の日と岡村孝子

先週の土曜日は、雪が降り10センチくらいの積雪となった。積雪は今冬初。
子供の頃はこんな雪の日がひと冬に数回あったような気がするが、近年はめっきり減った。
このあたりの地域の人たちは雪道に慣れていない。雪が少しつもるとあっという間にそこら中で交通渋滞が始まる。
環状の高速道路も通行禁止になるのでその渋滞はさらに濃密になる。
車はのろのろ、スリップによる小さな追突事故があちこちに起こる。
その日、雪はますます激しく降ってきた。
帰れなくなるといけないので、午後3時にはパートさんは帰ってもらった。
「風が吹くと桶屋が儲かる」とは、ある事柄が思いもよらぬところに影響を与えるというような例えである。
雪が降ると何屋が儲かるか。暇にまかせてストーブの前に陣取り考えてみた。思いつかない。少なくとも郊外型のリサイクルショップは全くお手上げである。
渋滞の中に車を出してまでに買い物に来る人はないし、ぐちゃぐちゃの雪道に自転車のお客も歩き客も来ない。
同業の仲間から電話があった。
「すごい雪だねえ。うちはもう店をしめたよ」
「へえ、決断が早いなあ。そうだね、夕方までやみそうもないしね」
結局、当店も4時には閉店してしまった。
私は別の同業者に電話して、どうしているか尋ねた。
「うちは、チェーンやスタッドレスタイヤがあるから、状況を見ながら・・・だね」
カー用品の品揃えの強いリサイクルショップらしい言葉だ。
雪が降るとタイヤ屋さんが儲かるのか。でもこれは直接的でそのまんまだなあ。
私は店を閉め終えると家路についた。まだ明るいうちに帰るのは何か落ち着かない。
のろのろ運転が続いて時々車は数珠つなぎでとまってしまう。
カーラジオから聞きなれた音楽が流れた。元清純デュオ「あみん」の「待つわ」だ。懐かしい。昨年の年末、復活デビューを果たしたことはご存知のことだろう。NHKで特集もやっていた。
元清純デュオ「あみん」は約25年という歳月をへておばさんデュオ「あみん」となった。
しかしあの頃の「お嬢さんぶり」は健在であった。
その美しいハーモニーを聞きながら、私はあることを思い出した。
みなさんはこの「あみん」の名前の由来をご存知だろうか。熱心なファンなら知っているかもしれない。
私は一ヶ月ほど前、「アミン大統領」改め「スモウトリ」という愛称のウガンダ人のことを書いた。その時、アミン大統領のことを一応確認をしておこうとウィキペディアを覗いてみた。
そこで意外な記述を発見した。
「あみん」の名前はこのアミン大統領からきているというのだ。
えええっ、あの「人喰いアミン」と清純デュオ「あみん」がいっしょ?
似ても似つかないその意外な組み合せにびっくり。
よく読んでみるとこうだ。引用してみよう。
さだまさしがアミン大統領のアミンという響きがいいと興味を持ち、「パンプキン・パイとシナモン・ティー」という曲の中の喫茶店の名前を「安眠(あみん)」と名づけた。
まだアマチュアだった岡村孝子と加藤晴子は、尊敬するさだまさしのその「安眠(あみん)」の名前をもらい、デュオ名を「あみん」とした。
へぇぇ、きっと、「あみん」もアミン大統領のことを何も知らずにつけたんだろうなあ。
いつも15分のところ1時間かかってやっと家に到着。
「風が吹くと桶屋が儲かる」のも「あみんとアミン」も面白いのは連鎖の意外性である。
しかし「雪が降ると何屋が儲かる」のかは結局思いつかないまま一日は終わった。
なるほどなと思えたら、それぞれひと押しお願いします。

- [2008/02/12 09:31]
- 未分類 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0) |
- この記事のURL |
- TOP ▲
象が出没?

当リサイクルショップに来店してくれる常連さんにはいろいろな方がいる。
60歳がらみの男性は、趣味が石集めで付随して宝石のことにはめっぽう詳しい。
またある人は古いカメラのジャンク品を買っては自分で直してしまう。そして上手く写ると確認したら終わり。そんなカメラを50台は持っているという。
あるいは買ってくれた商品をそこにいつまでも放置したまま、私と歴史談義に入ってしまう人物もいる。別の客が私に用事があればその場を譲るが、帰るわけではない。時を待ってさっきの続きとなる。
ある分野については任せておけ、というような方が意外と多くいらっしゃる。
書き並べたらきりがない。
仕事の途中の方もいるが、やはり定年退職した元気と時間のある方が多い。
この方たちは私にいろいろなことを教えてくれる。
私はお客さまは「神様」だとは思っていないが(たまに悪魔みたいなお客もいる)、活きた「先生」だとは思っている。
その中に漆山美術館の館長さんがいる。感性あふれたアーティストだ。漆山美術館はWeb上に作られた美術館で自分の膨大な作品や写真を展示されている。
私は美術館・博物館・図書館が大好きな「三館王」だ。この三館王は誰も別にほめてはくれない(笑)
この館長氏の若き日の作品の数々をWeb上で見せていただき、
「ちょっとアンドリュー・ワイエスのタッチに似ていますね」
とその感想を述べた。すると館長氏は、
「アンドリュー・ワイエス?おお、知っていますか」
まさか、リサイクルショップのおやじの口からその名が出てくるとは思っていなかったという顔をされた。
私は数年前に美術館で「アンドリュー・ワイエス展」をたまたま見ただけで、詳しいわけでもファンでもない。思いつきで言っただけである。
まあ、そんなわけでそれ以降、ちょくちょく言葉を交えることとなった。
実はこの館長氏が私にブログをアップすることを薦めてくれ、躊躇する私の背中を押してくれた方である。今回この漆山美術館の館長氏を紹介しておきたいのは、「背中を押してくれた」義理からではない。この館長氏、紹介するに値するパフォーマンスを昨年の秋から始めたからだ。
そのパフォーマンスとは「象プロジェクト」と称したプランだ。
冒頭の写真をご覧いただきたい。これは公園で子供たちの好奇心に満ちた顔に囲まれている様子だ。象の顔が見えないのが残念だが、言わば象の着ぐるみに入り象としてイベントなどに出没しようというものである。
この象は動物の象そのものを模した着ぐるみではなく、イラストや絵本に出てくる象さんをイメージして立体的な象を自作されたものだ。すごくかわいい。そして象の鼻が筆を持ち簡単な絵や字も書く。いわば、自作自演のパフォーマンス。
そして、この象プロジェクトの優れたところは、単に着ぐるみのパフォーマンスだけではない。みなさんは、江戸の享保の頃(1729年頃)、日本に象が来たというのをご存知だろうか。歴史好きの方々もこの「享保の象」のことは意外と知らない。もちろん私も初めて知った。
中国商人を介しその象はベトナム人の象使いとともに長崎に上陸。将軍吉宗に献上するため、通訳や数名の役人とともに街道を江戸まで歩いたというのだ(一部海路も使った)。当然旧東海道も象は歩き続けた。初めて見る巨大な動物に街道沿いの人々はどんなに驚いたことだろう。
その歴史的事実を踏まえて、旧街道のイベントなどとコラボレーションしようという発想である。
その象は一部では人気を博しているが、まだメジャーデビューを果たしていない。
象プロジェクトとしては、現実的な夢と計画はどんどん膨らんでいっているようだ。
私は直接そのプロジェクトに関与していない。柱の陰から声援を送るばかりである。
象プロジェクトはボランティアスタッフを募集しているとのこと。
こんなプロジェクトに関心がある方、お手伝いしてみたいという方、当ブログのリンク欄の「漆山美術館」を訪れてみてはいかがだろうか。
館長氏のその活動ぶりは、「アートとは美術館に鎮座しているものだけではない」と私に教えてくれた。
私が脱サラしリサイクルショップのあるじになってよかったな、と思えるのは、無益なストレスが減ったことと、こんな一風変わった面白い人々に出会えることである。
なるほどなと思えたら、それぞれをひと押しお願いします。

- [2008/02/06 09:14]
- 愛すべき常連さんたち |
- トラックバック(0) |
- コメント(2) |
- この記事のURL |
- TOP ▲
- | HOME |


